Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

マサチューセッツ大学ボストン校
2018年5月号 政策学部 K.I

カルチャーショックについて

主に授業形態と生徒の勉強に対する姿勢の違い、自己主張の強さ、店、トイレの汚さが挙げられます。ショックというわけではないですが、最も違いを感じたのは、やはり授業風景になります。まず基本的に、生徒にグループまたはペアを組ませ、ディスカッションを行いながら授業を進めていくという手段をとります。もしくは生徒を指名して、質問に答えさせていく教授もいます。英語が流暢でない僕にとっては、いずれも恐怖でしかありませんでした。しかしこれが授業の基本スタイルなようです。座っているだけで単位はあげないよ、とセメスターの始めに念を押されます。

次に驚いたのは、日本人と比べるとアメリカの学生はプレゼンテーションが格段にうまい事です。適当にやっている風の生徒でさえ、手元のメモを見ながら話す人はあまりいません。制限時間を超えても話し続けるなんて事はザラでした。そのせいでチャイムが鳴り、皆が教室から出たがっている地獄のような状況でプレゼンテーションした事もありました。ディスカッションもそうなのですが、熱意を持って積極的に参加する生徒が非常に多いです。

その他に感じた違いと言えば、公共の場での人々のフレンドリーさです。日本人の持つ優しさとは違い、アメリカ人は積極的に行動で示す人が多い印象です。目線や言葉が積極的に交わされ、トイレから出た時に待っている人がいたなんていう状況でも、あいさつを交わす事があるほどです。バスの運転手に道を聞くと、近いから乗せて行ってやるよ、なんて言われた事もありました。気持ちをはっきり伝えるという点、また大げさなぐらいの助けてあげよう精神は、日本人も見習いたいものだと思いました。

 

アメリカの銃社会

アメリカと聞けば、多くの人が頭に思い浮かべるものは銃の存在です。銃を持つ事が違法とされていないこの国で暮らしていく事を、多くの日本人は恐れます。しかしながら実際には、銃を持っている人を見た事がありません。日本のサイトでは治安の悪い地域として紹介される場所に、1年間住んでいたにも関わらずです。

アメリカに来る前の僕は、アメリカ人はみんな、銃を持つことは当たり前だと考えていると思い込んでいましたし、繰り返し起こる銃乱射事件に関して、銃所持を違法としないアメリカ人の姿勢に苛立ちさえ覚えていました。しかしそれは事実ではないという事に、ある事件をきっかけにして気付きます。僕がアメリカに滞在している間に、悲惨な銃乱射事件は3度ほど起こり、そのうち1つは世界的に注目を集めました。フロリダの高校で起こったもので、生き残った生徒達を中心に、大規模なデモが行われたのです。僕はアメリカ人全員が、銃所持に賛成しているわけでは無かった事を知ると同時に、このデモの大きさ、集まった人の多さに衝撃を受けました。

カルチャーショックの欄にも書きましたが、彼らの意思表示の強さや行動力に関しては、多くの日本人の学生が持つものとは、全く違うものを感じます。悪い意味でも良い意味でもです。それは法律を変えるまでには至らないものの、デモに繋がり、世界的な認知に繋がり、僕たちのような何も知らない人の耳に入ってくる事にもなります。

銃社会であるアメリカをただ遠くから見るのではなく、近づいてみなければ気づかない反対している人々の存在、それでも変わらないアメリカの社会などに目を向けてみると面白いかもしれません。