Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

東フィンランド大学
2019年2月号 国際学部 Y.N

①     試験について

私は教育系の学部に所属していて、今のところ教育関連の授業ではテストを受けたことがありません(教育以外の言語や社会系の授業ではテストがあります)。その代わり、毎回の授業で考えたことや自分にとって新鮮だったことを記録するラーニングダイアリー、エッセイ・レポートなどが評価の基準になります。

またほとんどの授業でプレゼンテーションをすることが求められ、他の留学生と協働してプレゼンの準備をすることも稀ではありません。私もつい最近、技術教育の授業で、小グループで作成した textile notebook の制作過程に関するプレゼンをしました。

初めのころは他の留学生と話し合いながら何か一つのものを作り上げるというのは、かなり大変に感じました。私はフィンランドへ来る前はTOEFL以外の英語の勉強はほとんどしませんでしたし、卒業した高校も府立の普通科なので特に英語が話せるという訳でもなく、こちらへ来てすぐは、留学生同士の会話の速さについていけず、自分の意見を言う間もなく物事が進んでいくという辛い時間を過ごすことがしょっちゅうでした。

しかし、だからといって心配しすぎる必要はありません。あまり英語が話せないからといって相手にしてくれないような人はほとんどいませんし、フィンランドではほとんどの留学生が第二言語として英語を話すので、みんな英語が流暢でない時期を体験していて、こちらが話すのに多少時間がかかっても、温かく待っていてくれます。何よりヨーロッパの学生は会話や議論が好きな傾向があるので、こちらが話す気持ちさえあれば相手がどんどん会話を広げてくれます。そうしているうちにだんだんと聞き取る力がついてきて、英語での表現の仕方も自然と身についてきます。

少し話がずれてしまいましたが、私の所属している学部では、テストはあまりなく、他の学生と関わる機会が多いという傾向にあります。

 

 

②     最近考えていること

私は現在龍谷大学3年生で教職課程を履修しており、早くて来年の夏に採用試験を受ける予定です。もちろん英語の教員になりたいのですが、どんな英語を教えるのか、生徒あるいは学生にどんな英語を身に着けてほしいかを考えることが多くなってきました。留学してからずっと様々な国からの留学生と関わり、様々なアクセント・表現・レベルの英語に出会い、日本の中高生はどのレベルまで英語を身に着けるべきかを自分なりに考えています。日本から出ない限りは英語を話す必要はありませんし、流暢である必要もありません。そもそも日本語を十分に習得することが時間のかかることであり(小中で習う語彙数や漢字)、日本語と英語では表現方法や使用する文字といった点で言語的距離がかなり大きく、日々の部活動や受験勉強で忙しい中高生に流暢に英語を話すことを求めるのもナンセンスだなとも考えます。

一方で、英語が流暢であることで損をすることは一つもなく、むしろ将来に役立つ恩恵であふれているということも事実です。一番身近な例で例えると、留学という選択肢をとることが非常に容易になりますし、留学生活を最大限に楽しむことができるでしょう。留学生と関わっていく中で様々な文化に触れ、新たな視野・進むべき道も見えてくるでしょう。また大学で何かを研究するときにも、英語で資料集めをするのか日本語でするのかでは得られる情報量に圧倒的な差があります。英語の場合、世界中の研究者が発表した英語の論文を読むことができますし、検索範囲が広がることでより良い情報に巡り合う可能性も高くなります。

しかし、先ほども述べたように中高生に流暢さを強要することは避けたいですし、中高生全員が特別なことを研究したいと思っているわけでもありません。生徒一人一人に合った柔軟な指導が求められるのは当然ですが、2020年に新学習指導要領が施行され、教員は英語の授業を英語で行うことが求められます。あくまで私の意見ですが、いきなり教員が英語で授業を進めだしたら中高生は戸惑うだろうし、授業内容を十分に理解できないだろうと考えます。その点は教員の技量で補うしかないのでしょうが、私にはまだまだ自分がどんな教員になりたいのか、英語に魅力を感じない生徒にはどう接するかなどのビジョンもありません。

おそらく教員になってからもこのことについては迷い続けるのでしょうが、残りの留学生活で大まかなビジョンが掴めたらなと思います。

写真は今月訪問させていただいた、フィンランドの小学校の廊下と特別支援教室の風景。