Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

東フィンランド大学
2012年12-1月号 文学部 K.F

冬休みの過ごし方について!

 

東フィンランド大学では受講している科目により、秋学期の終わりが違ってきます。私の場合は12月2日に全ての授業が終わったので、次の日から冬休みが始まりました。冬休みになるとEUやフィンランド人の学生の大部分は故郷に帰省します。その間、ルームメイトもスペインに帰ったため、アパートは猫の足音も聞こえないくらいの静けさに包まれていました。そのため、旅行に行くことにしました。

事前に旅行の計画を何もしていなかったため、計画するところから始まりました。まず、飛行機には極力乗りたくなかったため(1度だけ乗った)、フェリーと電車で行くことに決めました。ユーレールパス(様々な種類があります)というEU圏(使えない国もあります)で使える切符をインターネットで購入しました。私は4カ国セレクトパス(250ユーロ程)を選び、12月14日から22日の9日間でフィンランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オーストリア、エストニアの全10都市を1人で旅行しました。ここではフィンランド、スウェーデン、デンマークに焦点を当てて書きたいと思います。

 

ヘルシンキ大聖堂

14日の朝にヨエンスーを出発し、昼過ぎにヘルシンキに到着しました。これまでヘルシンキを観光する機会がなかったため、フェリーの時間まで少しだけ名所を回ってみました。ヘルシンキの名所といえばヘルシンキ市の象徴であるヘルシンキ大聖堂。ヘルシンキの中央市街に聳え立つ純白の教会で、屋根に有る12使徒の真鍮(銅と亜鉛の合金、特に亜鉛が20%以上のものを呼ぶ)は世界最大のものです。もう一つウスペンスキー寺院にも行きました。この寺院は純白の大聖堂とは違い、赤レンガ造りのロシア正教会です。フィンランドに来る前から、この国のイメージは白と青だったため、赤レンガ色のウスペンスキー寺院を拝見した時は奇妙な感じがし、フィンランドにいる気がしませんでした。先入観とは面白いものです。この後、フェリー乗りストックホルムに向かいました。切符は一番安い三人部屋で、学割が聞いて59ユーロでした。

ストックホルムの町並

ストックホルムには朝10時に到着し、この日一日かけてストックホルム市内を回りました。特に印象に残っている場所はガムラスタンという旧市街です。ここには王宮、大聖堂、ノーベル博物館、ドイツ教会、リッダーホルム教会があります。他の建物も古風で、それらの間の玉石敷きの通りからも中世の名残を存分に楽しむことができます。また、ここガムラスタンは少しですが『魔女の宅急便』の舞台となったところでもあります。時計塔を見たときは自然と『ルージュの伝言』を口ずさんでいました。ガムラスタンから少し離れたところに市庁舎があります。ここでは毎年ノーベル賞授賞式の祝賀晩餐会が行われます。私は時間の都合上中に入れなかったのですが、ガイドツアーもあります。その後、市庁舎のすぐ近くにある中央駅へ行き夜行列車でコペンハーゲンへ向かいました。ちなみに値段はユーレールパス割引で23ユーロでした。夜行列車に乗る場合は追加料金を払わなくてはなりません。しかし、普通に乗るよりかなり安いです。

人魚姫の像

コペンハーゲンには朝6時前につきました。この日はあいにく天気が悪く少し雨が降っていました。コペンハーゲンといえばアンデルセンの童話『人魚姫』に出てくる人魚像が有名です。私がデンマークに来たかった一番の理由はこの像を見るためです。

人魚姫の像は駅から一番遠くに有り、そこに辿り着く前に市庁舎、国立博物館、クリスチャンボー城、ストロイエ、ニューハウン、マリエンボー城、フレデリスク教会へ行きました。ストロイエはコペンハーゲン一の繁華街で北欧のデザインショップが建ち並んでいます。特に有名なものはロイヤルコペンハーゲンで、デンマーク王室御用達です。ニューハウンとは17世紀に築かれた港で、カラフルな木造家屋が建ち並んでいます。まるで絵本の世界にいるような感じがします。マリエンボー城はデンマーク王室の居城で、八角形の広場を囲むように4棟で構成されています。私が訪れた時は屋根のポールに国旗が掲げられており、これはマルグレーテ2世女王陛下が在宅していることを意味しています。フレデリック教会は王室のすぐ隣に有り、大理石でできたバロック様式の教会で、その美しさは素晴らしいものでした。教会の周囲にはデンマークの偉人の像が建てられており、その中には哲学者セーレン=キルケゴール(『死に至る病』の著者)の像もありました。

その後、人魚姫の像についたのですが、思っていた程の感銘は受けませんでした。周囲に人だかりはできていたのですが、いまひとつインパクトがありませんでした。落書きされていたことも私の感慨を奪った一つの要因でしょう。ここで写真を撮ってもらうため、たまたま居合わせた日本人に声をかけたところW大学の教授、夫人と友人夫妻でした。教授はデンマーク史が専門だったため、私にデンマークの歴史について街を回りながら丁寧に教えてくれました。ローゼンボー城とラウンドタワーにも連れて行ってくださいました。ガイドブックには載っていない様々なことを教えて頂き、とても有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございます。その後、教授達と別れ、駅で切符を買いベルリンに向かいました。

 

前述したように、ここからはかなり端折って書きたいと思います。コペンハーゲンを出た後はベルリン、ウィーン、フッセン、ケルン、リューベック、ブレーメン、タリンという具合に旅行しました。

ベルリンは市内観光バスに乗り、市内を一周しました。私の偏見なのですが、ベルリンという言葉を聞くと如何してもナチスと冷戦を思い浮かべてしまうため、あまり良いイメージがありませんでした。しかし、ベルリンの壁崩壊後インフラ整備や再開発が行われたため、かなり綺麗で、駅の近くには木々が生い茂っていました。ブランデンブルク門、ポツダム広場、国会議事堂などは有名です。また、ベルリンを訪れたら是非ベルリンの壁にも行ってみてください。崩壊しましたが、シュプレー川沿いの1.3kmは文化財として保存されています。現在、この部分には118人の芸術家による壁画が描かれています。その中にはホーネッカーとブレジネフのキスを描いた戯画もあります。

シェーンブルン宮殿

オーストリアの首都ウィーンはクラッシック音楽が有名で、音楽の都と呼ばれています。街の中心はかなり綺麗で観光客で賑わっていました。街を少し外れたところに在るシェーンブルン宮殿は世界遺産で、ウィーン会議(1815年)が行われたことで有名です。この宮殿は庭が広く(東西約1.2km、南北約1kmの規模)、歩いて回るのが大変でした。また、この宮殿の庭には枯山水の日本庭園もありました。

 

 

 

ノイシュバンシュタイン城

フッセンにはノイシュバンシュタイン城を見るためだけに行きました。この城と次に記述するケルン大聖堂は世界史の資料集で見て以来、是非行きたいと思っていた場所です。城は正面からしか見ることができませんでしたが、雪で化粧化されていたためより一層壮麗な物となっておりました。ただ、一つ残念だったのが、改装工事をしていたということです。

 

 

 

ケルン大聖堂

ケルンは上記の通りケルン大聖堂を見るために行きました。ケルンに着いたのが朝5時頃で、8時にはリューベック行きの電車に乗らないといけなかったため、誰もいない雪の中、1人で写真を撮りました。雪の中、ライトアップされた大聖堂は荘厳で、美しく、これぞゴシック様式の世界最大建築たる所以だと感じました。

かつてハンザ同盟の盟主として栄えたリューベックは港湾都市で、運河に囲まれた旧市街は世界遺産となっています。建物の大半は赤レンガで造られています。小さい町なので、2~3時間あれば十二分堪能することができます。時期がクリスマスに近かったため、街はクリスマスムードで染められ、屋台もたくさん出て賑わっていました。ここでドイツに来て初めてソーセージを食べました。値段も安くかなり美味しかったです。赤レンガの建物は日本では味わうことのできないクリスマスムードを引き立て、1人でいた私はなぜか『マッチ売りの少女』を頭に思い描きました。

 

ドイツ最後の町はブレーメンです。グリム童話の『ブレーメンの音楽隊』で驢馬、犬、猫、鶏が目指した町です。しかし、残念なことに彼らの像を見つけることができませんでした。ブレーメンでも街はクリスマス一色に染まっていて、市庁舎の周りには屋台が沢山ありました。次の日は朝7時の便でタリンに行かないといけないため、早めにホステルへ帰り、寝ました。

最後にタリンです。ヘルシンキ行のフェリーの時間が昼過ぎだったため、2時間ほどしか滞在することができませんでした。タリンにも旧市街があり、もちろん世界遺産です。少ししか回ることができませんでしたが、街の雰囲気は中世そのものでした。ヘルシンキからフェリーで3時間なので、機会があればもう一度言ってみたい場所です。

 

 

この旅行を通じて….

まず、どうでも良いことなのですが、この旅行で自分の歩き方がおかしいことに気付きました。どのようにおかしいかといいますと、右足の重心が右に少し傾いているということであります。オーストリアのシェーンブルン宮殿の庭で、右足の外側が急に痛み出し、歩行することが困難になってしまいました。前日までの3日間歩き続けだったことと、上記したことが原因だと思われます。ひ弱ですね。結局この痛みはヨエンスーに帰ってから1週間後に消えました。また、1人旅だったことと、行く前にベルギーでテロが起きたため、かなり不安を感じていましたが、訪れた国はどこも安全でした。テロが起きたためか、ベルリン駅では朝から数名の警察がシェパードを引き連れて駅構内をパトロールしていました。9日で10都市を巡るというかなりきつい計画を立てたため、肉体的、精神的にかなり疲れました。そのため早くフィンランドに帰りたいと思うようになり、フィンランドに帰る日が近付くにつれ、「早く帰りたい、早く帰りたい」という思いが募っている自分がいました。と、いろんなことを経験した旅行でした。元々旅行があまり好きではなかったのですが、この旅行で少し旅行することもなかなか良いことだと思いました。長々と書きましたが、最後にフィンランドの作家トーヤ=ベンソンの作品『ムーミン』の中からスナフキンの言葉を引用して終わりにしたいと思います。

 

『この間も話したように、僕は孤独になるために旅をするんだ。 長い間の孤独の生活から、春、このムーミン谷に帰って来た時の喜びは… なにものにもかえがたいものだよ』