Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

デュースブルグエッセン大学
2015年3月号 法学部 A.T

この一年を振り返って

ドイツ語の勉強の一つの到達点として半ば思い付きの気持ちで挑戦した交換留学でしたが、1年間の海外生活を終えて帰国し改めてドイツでの日々を振り返り出発前と比較した今、自身の中で確かな心の変化を感じることが出来ています。それはこの留学生活の中で経験してきたあらゆる出来事や失敗を通して、私自身、人としての未熟さや不完全さを身に染みるほど何度も痛感して悩み落ち込み、またその事について反省し、そして状況を進歩させようと絶えず意識し続けてきた時間や機会が日本での生活より遥かに多かったからです。その1年間の積み重ねが心境の変化という形として一つの成果となり現れたと感じています。またこれから後述していきますが、留学の醍醐味というのは間違いなくその心境の変化にこそ集約されているのではないかと、私は強く思っています。

出発前、私の留学のイメージというのは、ただひたすらドイツ語の能力を磨く毎日を送るうちに1年が過ぎて帰国の日を迎えるというものなのかなと漠然と思っていました。勿論語学力を高めることも私の中で重要なテーマの一つであったことは確かです、ドイツ語については日本で勉強する3年分位の上達の実感はあり、ドイツ語の新聞(Die WeltやSüddeutsche Zeitung)をオンラインで購読しても、概ねの内容を辞書なしで理解できるようにもなりました。それによってドイツ人的及び欧州人的な視点から、世界の動向や日本の文化や政治がどのように見られているか日常的に目にする機会が増えたり、日本の政治的行動の国際的評価やそれに伴い現在日本が国際的にどのポジションいるのかということを客観的に見る機会が増えたことで、いかに当事国のメディアというものが都合の悪い情報を伏せがちであり、それ故情報に対し盲目になりやすいため気を付けるべきかということを実感できました。それを踏まえた上で日本が国際的にどのような行動や立場をとるべきであるのか、そしてそのために私自身がどのような形で政治や国際に参加できるのかということも考えるようにもなったと思います。また全く使い物にならないほど、本当にひどく苦手意識の強かった英語も、多国籍国家という性質からドイツ語以外の言語を使うことも幾度となく迫られた経験により、新聞こそはまだ理解が難しいものの、ペラペラとは言いませんが簡単な会話ならストレスをあまり感じることなく処理できるようになったと思います。

しかし、そのような語学の成果の有無以上に私自身の考え方を変えさせてくれた出会いや出来事の方が、今後何十年も続いていく私の人生に於いて遥かに価値多きものであり、そして大きな財産になったと確信しています。

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語学力不足から日本では問題なくできていたはずの何ということもない人並みの作業も、外国語でやるとなると本当に難しく複雑に感じてしまい、海外での自分の無力さに思わず言葉を失うほどうなだれてしまった経験や、また自分の無力さ故に何かと周囲に気を遣わせたり助けを借りがちだったりと、なかなか彼らと心理的にフェアな立場になれない自身の状況を情けなくも申し訳なく感じ、その気持ちを払拭したい・させたいという背伸びする心から自分で何でもやりきってやろうと一旦は強がってやるも、その動きの全てが空回りに終わっててしまうほど自力での解決が相当困難に直面して途方もなく困り果ててしまい、結局 頭を下げて誰かに助けを乞わざる得なくなったことで、留学しても尚なかなか捨てきれなかった私の中の常識やプライドをようやく捨てなくてはいけなくなり悲しい気持ちになったという、皮肉にも思い出深い経験もありました。留学が辛く厳しいものであることは出発前に覚悟していましたが、これほどまでに苦しいものだったとはと痛感せずにいられなかったことは、上記以外の様々な経験も含めこの1年間で1度や2度ではなかったです。

しかし どんなに疲弊した状況になったとしても、必ず誰かが優しく手を差し伸べてくれ、その惜しみない親切さに私は本当に救われ幸せな気持ちにもなれたことや、相当面倒な問題に違いないも関わらず恰も当然のことであるかのように、嫌な顔を一つもせずその作業を手助けしてくれる人達の姿を見て人の優しさが身に染み渡るほど感じて、大きく心を動かされた経験も、また同様にこの1年間で1度や2度ではなかったです。つまり辛く恥ずかしかった経験と救われて幸せになれた経験というのは、私の中で常に表裏一体のものとしてこの1年間存在し続けていました。そして帰国した今になって振り返ると、そのどちらとも本当に貴重で値打ちがある経験でした。

他にもここにはとても全て書ききれないほど、多様な出会いを通して沢山の苦境や幸福を見る機会がありました。そしてその度に自身の幼さを悩み反省してきました。

しかし、最も印象的で死ぬまで忘れられないほどの経験が出来た思い出は上記した感謝に堪えなく救われ幸せな気持ちになれた経験であり、そして最も私を反省させた問題であったと思います。

自分自身のこれまでやこれからの行動を深く思考し、悩み、反省し続けられたこの留学により、私の視野や価値観を更に深く、広く、濃いものに洗練させる大きな出来事となったこの1年間は描写しきれないほど本当に実り多く充実した1年であったと思います。

そして、このような素晴らしい経験が出来たのは、窮地に陥った私自身を様々な形で支え続けてくれたドイツの人達や日本にいた知人達、惜しみなく私に現地の情報を提供してくれたドイツ留学を経験した先輩方、交換留学として送り出してくれた龍谷大学、意義深いインスピレーションや思い出を与えてくれた現地で出会った人達、そしてスポンサーとして出資してくれた親によるものでした。

私に惜しみなく力を貸し、支え、応援してくれた全ての人たちに心から感謝しています。

本当にありがとうございました。

 

帰国後どう留学経験を生かす予定なのか

前述しましたように、私はこのドイツでの留学経験で自身の造詣を大きく深めることが出来たことにより、非常に意義深い人生経験の一つとなりました。その私の心を大きく成長させることに寄与した「留学」や「ドイツ語」、そして「ドイツ」という存在に良さや悪さも含めて理解したうえで深い愛着や恩を感じています。その事と共に私はこのドイツでの留学初日から留学が終了するに至ってもなお一貫して最も深く悩み続けて考察をし続けてきたテーマの一つとして「感謝」というものがありました。

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誰しも人は人生の目的の一つとして幸福になりたいという気持ちが本能として存在し、また当事者の全ての行動の根源はそこにあるのではないかと私は考えています。しかし 幸福という価値観は決して一元的に定義づけされたものでなく、個人が様々な情報媒体を通していく中で得た知識・経験・出会いをもとにした上で何年や何十年という時間をかけて構成されていく価値観をベースとしながらも、常に反省を繰り返して改善を試みながら徐々に帰結させ洗練していき自分なりに落とし込んでいくものであって、その百戦錬磨の追及作業の末にようやく納得できる自分なりの幸福の形を見つけ出し、そしてその幸福哲学に沿って生きていくことが、幸せな人生を送る一つのコツなのではないかと私は思っています。

私はこの1年間の留学中に起きた様々な出来事を通して経験をしてきた「感謝をする」という念を感じるときにこそ、深い幸福を得ることが出来るのだとこの留学で身に染みて実感しました。また留学中、ドイツ内外を問わず日本語を勉強しているドイツ人をはじめとした外国人の日本語の学習者を、生活面や学習面など多岐に渡り様々な方法で手助けをした機会も多く、その事を通して自分が本当に喜ばせたい人からの「感謝をされる」という経験も、また同様に深い幸福感を得ることが出来ました。

そして私がこれまで経験の末に辿り着いたひとつの幸福哲学の定義として「感謝をする・される」ということが根源の一つとして存在しているということを、まだ不完全な形ではありますが片鱗として発見出来ました。それにより私なりに幸福な人生送るための一つの形やコツが、ようやく少しだけ見え出してきたような気がします。

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私は大学3年生の時に留学をしましたが、単位の都合で留年することが決まりましたので、通常より1年長く大学生活を過ごすことにしました。そして大学卒業後の進路として、就職活動を通し民間企業に就職し、社会の一員として世に出る予定です。

社会人というのは私にとってまだ経験したことのない未知の世界であって、学生時代以上に長い時間を過ごしていくことにより、またそこで新たな辛く厳しい経験を沢山することになるであろうということは、朧気ながら想像や覚悟をしています。しかし私はこの留学によって「感謝」という、私なりの一つの幸福哲学を発見することが出来ました。その哲学を忘れないように大事に持ち続け、間もなく訪れる就職活動にもそれを根底に置きながら活動していき納得した進路をとれるように努め、就職後もそれを働く上での一つのモチベーションとして仕事の中で見いだせるよう努力していきたいと思っています。また例え仕事を辞めるのか続けるのか悩むほどのような出来事にいつか直面したとしても、その哲学に立ち戻って考えればきっと正しい決断が下せる一つの材料として役に立つに違いないと信じています。仮にその葛藤の末に仕事を辞めるという決断に至ったとしても、その時にはまた新たに一段と磨かれているであろう私の幸福哲学に沿って考え直せば、次の行動を正しく決めることが出来るのではないかと予感しています。

この留学で、私は私が本当に喜ばせたい人と思える人を喜ばせられる人生を送っていきたいと考えるようになりました。そのために私は私自身がこれまで築いてきた様々な経験や情報を多方面に渡って還元していきたいと考えていますし、その活動を通していく中で出会えるかも知れない素敵な人や物との出会いがあれば、そのために私の人生の多くの時間を使いたいと思っています。そのような人生を送りたいと思っています。その上で、またいつかチャンスがあればドイツなどの海外で働いてみたいと思っていますし、その来たるべき機会に備えて今後も勉強や情報集めなどを継続して力を溜めていくつもりです。その結果ありがたく海外で働く機会が実現すれば、そこでまた再び私の力に挑戦し技量や精神を研鑽していきたいです。

そしてこのような哲学を築くことに大きく寄与するきっかけとなったのは、正にこの龍谷大学の交換留学の経験でした。

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自身の青さ故に稚拙な文章でしたが、この1年間毎号私なりに感じたことを率直に、そして一度も手を抜かず記してきたつもりです。そのことから現地の客観的な情報よりも私の心境の変化を語る主観的な情報が先行してしまい、物理的に快適な留学生活を送るための情報として読むレポートとしてはあまり役に立たなかったと思います。それでも、私自身のリアルな経験や心の変化の記録であるこのレポートはこれから留学に挑戦してみたいと考えている人や、既に留学から帰国をした人などと僅かながらシェアできる部分もあるかも知れませんし、それを通してもし新たな考え方などを発見してもらえることあればいいなと思っています。

長くなりましたが、以上をもって私の留学とマンスリーレポートを終了したいと思います。ありがとうございました。

 

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Herzlichen Dank nochmals für die alle Leute, die mich kenngelernt und mir geholfen und eine große Wirkung auf mich gehabt haben. Ich weiß nicht  genau, wie ich meine Fühlung ausdrücken kann.

Aber nur ein Wort.

 

Danke.