Center for the Promotion of Global Education

グローバル教育推進センター交換留学マンスリーレポート

デュースブルグエッセン大学
2014年6月号 法学部 A.T

カルチャーショックについて

滞独生活を送る中で「ドイツ」にいるからこそ感じられるカルチャーショックというものはあまりなく、寧ろ自分は「ヨーロッパ」にいるのだなと感じる文化の差を感じる場面が多かったです。

ドイツで生活を送る中で何度か祝日を迎える日もありましたが、そのほとんどの休日が宗教的なことに基づくもので(キリスト教)、そのいずれの祝日の意義は日本の祝日と銘打たれるものの意義と一致しているものはありません。ドイツ、というよりもヨーロッパは日本と比較して圧倒的にキリスト教の指向が高く、無宗教である自分にとって度々訪れる祝日は日本(アジア)との文化の差をはっきりと感じることが出来るものであり、これらは私とって少し興味深い出来事でした。

日本は国民に特定の宗教を強要していませんが、冠婚葬祭に於いて多くの日本人にとっては仏教が馴染のあるものと思われます。普段我々が行動や思考するうえに於いての根拠はこの「仏教的」な発想や考え方に少なからず依るものが多いと自身の行動と他人の行動を比べる中で感じる場面もあり、これを根拠としない西洋の人々と照らし合わせるとやはり国柄というものは存在するのだなと思いました。日本には国が定める宗教系の休日は一つもなく、寧ろ日本の祝日の趣旨は周りにいる人間や自然に改めて感謝することに基づくもので、日本人にとって生活の中に宗教があるのに対し、西洋人にとって宗教の中に生活がある、といった印象を受けました。といっても西洋人の行動の根拠の全てが露骨にキリスト教に依るものであるわけではなく祝日などといったふとした機会に僅かながら、しかし確かに存在する日本と西洋の文化の差を感じます。

また現地で出会っていく知人や友人を含め色々な人達と交流していくうえで、多くの人たちが日本の印象を語る際にアニメや漫画、映画やタレントのことについて述べることが多かったです。例えば日本の映画や漫画が好きな中国人の友達がこの日本の映画はよかった、この日本人俳優は演技が上手い、この日本の漫画は面白いと日本人である私に語る場面が時々あり、映画や漫画にあまり敏感でない私にとってこれらの返答は難しいものであったと同時に、これほどまで日本のサブカルチャーは浸透され受け入れられていることにも驚き、私にとってはある意味でカルチャーショックを感じるものでした。

先日Düsseldorfで行われた「Japan Tag」(日本デー)では、コスプレをした大勢のドイツ人がうろうろしており、露店では焼きそばやお好み焼きといったものが売られていたり剣道や舞の演舞が行われていたりするものの、やはりドイツ人にとってこのお祭りの目玉は日本の伝統芸能よりもサブカルチャーであるようで、今日に於ける多くのドイツ人がイメージする日本の印象を客観的に見ることが出来ました。またこのお祭りは大きな規模で行われており、参加する人たちはドイツ人に限るものではありません。間違ってはいませんがあまりに一面的に日本の印象を植え付ける恐れがあるこのJapan Tagに少し困惑しました。しかしながら日本のサブカルチャーは世界的に突出して豊富で且つ人気であることは事実であり、我々日本人は日本の映画やテレビ番組を見たり漫画を読むうえで、この非常に優れたものを翻訳によって繊細で微妙なニュアンスを壊されることのない「原文」の意味で作品の内容を100%理解することが出来ます。滞独生活を送る中で日本に興味をもつ外国人に西洋人、東洋人、アフリカ人など人種を問わず出会い、またその数は決して少なくなくないものであり、そのような文化に親しみの念を持って話す人たちに対して私自身が日本人であるということを大変恵まれたことであると感じ、自国の文化に対してより興味や誇りを持つことが出来ました。日本から日本を見るのでなく、ドイツから日本を見ることが出来たこの出来事も興味深いものでした。

カルチャーショックで一番困ったことは、いわゆる「乗り越し精算」が適用されないことでした。切符の範囲以上の乗車をしたことが時折社内を巡回する車掌に依って発覚した場合、違反切符を切られます。ドイツに到着して間もないころであった私はよく分からないまま切符を買って乗車し、車内で車掌に依る検札の結果不正乗車として見なされ、パスポートの提示を要求されたのちそれを専用の機械でスキャンされ、更に黄色い小さな紙を渡されました。そしてこの黄色い紙に記された場所に趣き罰金(40ユーロ)を支払わなくてはいけませんでした。その時に身分証明をするものとしてパスポートしか持っておらず、身分を証明する手段としてパスポートを提示をせざるを得ませんでした。ドイツでは日本の保険証の様な身分証明書を携帯することが常識となっているようで、たまにそれを提示することを求められる機会があります。私はたまたまパスポートを携帯しており非常事態であったその場をやり過ごすことが出来ましたが、もしこのような現場で身分を証明できるものを携帯していなかった場合は警察に連れていかれ尋問されることがあるようです。大学が始まると学生証を貰えますが、それまでの間はパスポートやVISAを携帯することをお勧めします。

 

自由テーマ

英語とドイツ語の関係について

滞独生活も長くなってきたことでドイツへの適応が出来ると同時に語学力の上達も(錯覚かも知れませんが)ふとした場面で感じることがあります。ドイツに到着した直後はドイツ語・英語とも日常会話もままならない有様でしたが、今では少し支障を感じるときがあるものの大方に於いてドイツ語での会話ならある程度こなせることが出来るようになったと思います。それに伴って国籍を問わず授業のないオフの日に遊べる友達も少しずつ増えてきました。ドイツ語でのコミュニケーションに余裕(慢心)を感じることが出来るようになったことや、たびたび感じる英語が出来ないことで取り残されるストレスを少しでも解消したいと思い、滞独生活3ヶ月目以降からはドイツ語と並行して英語も勉強してみることにしました。

大学受験の勉強以来久しく使っていない日本から持ってきた懐かしい単語帳や文法書をここにきて再び広げてはみたものの、ほとんど全て忘れてしまったゼロからのスタートに等しい英語の勉強は私にとってなかなか骨が折れるものであり、一度勉強した内容であるにも関わらずまるで初めてのことを勉強している感覚に本当に自分は英語を忘れてしまったのだなと思わず失笑をするほどでした。それでも英語の勉強を進めていくうちに、敢えて「ドイツ」で英語を勉強する面白い発見をすることもできました。

文法的にドイツ語と英語は同じゲルマン語に属し、多くの単語や構文は英語と酷似しています。ドイツ語と英語が似ているということは何となく知っていましたがこれほどまでとはと驚くことが多いです。例えば英語の「You have to go to hause」は「Sie haben nach Hause zu gehen」と表せますし、「Nothing is better than A」は「Nichts ist besser als A」、「between A and B」は「zwischen A und B」と表せます。この他にも書ききれないほど山ほど英語とドイツ語は対応しています。つまり英語の文法でドイツ語を喋ると大体当たりますし、その逆も然りということです。実際神戸市外大から留学している友達や英語の得意な中国人の友達はドイツ語を喋る際に英語で考えているようで、ドイツ語の上達も早いように思えます。この理屈に基づいて考えるとドイツ人の多くが英語が得意であることは必然であり、我々日本人に比べて大きなアドバンテージを持っていると思いました。私は語彙の不足でまだ満足に英語を操ることが出来ませんが、それでも文法がドイツ語と似ているという発見によってドイツ語で英語を考えることが出来るようになり、英語を使う負荷はかなり軽減されたと思います。またドイツ語でなかなか定着しなかった構文を英語で勉強することによって英語と共にドイツ語の理解を進めることが出来たことも、英語を勉強してみて良かったと思える点でした。しかしあくまで似ているというだけであって、何から何まで同じという訳ではありません。

英語を勉強している間はドイツ語を勉強する時間が割かれてしまいますが、それでも英語とドイツ語を並行して勉強することはなかなか意義のあることだと思います。